風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その73)

『本質的疑問。なぜ人は感極まると涙が流れるのか?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 なんで“涙”なんだろう。もっと他の表現法でもいい気がするのだが。
 そんなことを言ったらなんで楽しい時に笑うのか、とか同時進行で思い浮かんできた風鈴製作者なのですが、これはミステリーだと思うのですよ。
 表情で感情を表現するのは、顔が他人にもっとも見せやすい場所であり、顔筋を少し動かすだけでよいという点でコストパフォーマンス的にも妥当だから、という理由が考えられます。でも“泣く”という行為はいちいち涙腺から水を分泌しなくてはならないのですよ?
 風鈴製作者は生物学者でもなんでもないので、生体的ににどちらが(顔筋運動と涙の分泌)簡単なことなのか詳しいことは解りませんが、少なくとも涙を流せば体内から水が失われることは確かです。これって無駄では?(――――ああ、ダメだ。ここまで考えたら、今度は水分の補給がなかなかできない地域に住んでいる人は、涙が流れづらいかもしれないとか思っている。思考暴走気味)


 ――――人って、不思議、だ――――。