風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その40)

『物事を一から十まで聞いてわかったつもりになることは、模範解答を見て問題を理解したつもりになることと同じだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 スポーツ観戦が好きで競技場まで見に行く人の心理が、半分以上理解できません。
 試合(ゲーム)の内容を楽しむ、もしくは研究することが目的ならば、TV観戦で十分なのではないだろうか?
 そしてまた客席で徒党を組んで大音声で応援する人々。彼らに関しては一分たりとも理解できない。彼らは本当に試合を見ながら応援しているのだろうか?少なくとも野球場(風鈴製作者は球技に限定すると、野球以外で競技場観戦したことがありません)の外野スタンドで楽器をかき鳴らしている人々はそのようには見えない。どう見ても楽器を鳴らすので手一杯のようだ。…ということは、彼らにとっては試合内容はどうでもよく、応援している側が勝ちさえすればいい……のか?それとも応援すること自体が目的で勝ち負けすらもどうでもいいのだろうか?――――謎は尽きない。