風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その348)

『印象とはときに無関係な人間にまで適用され、思い込みを幇助する』


 還さざるを得ない日。(挨拶)


 昨晩からの雨と強風は朝をピークに午前中の間は吹き続け、例によって風に弱い路線は軒並み運休、もしくは遅延。午後以降は曇りで、夕方くらいには空が見えていた。低気圧の通過に伴って南風が入っていたが、前線が通り過ぎてからは再び冷え込み始めた。
 常々、飲酒を原因とする社会に与える弊害について書いているが、なにも風鈴製作者は飲酒そのものが悪いとは言っていないし、また飲酒する人全てが害のある人間だなどとは思ってもいない。問題なのは度を越した深酒をして暴れたり、あるいは酒気を帯びた状態で平然と車両を運転するような人間個人である。これは喫煙も同様で、マナーを守って分煙に配慮して煙草を吸っている人を責める理由はどこにもない。そういう無害な人を一緒くたにして飲酒者・喫煙者全てをまとめて問題視するのは差別以外の何者でもない。
 しかし印象とは恐ろしいもので、身の回りで特定の習慣が原因で複数の人間に迷惑をかけられ続けると、どうにも同じ習慣を持った人間全てが同じ問題を抱えているように思えてくる。つい先日も、酒が大好きな人間が無断欠勤したのを見て、これだから酒飲みは…、と無条件に考えてしまった。その人がそういうおかしなことをするのは滅多にないし、しかも後に無断欠勤は身内の不幸と携帯の紛失が重なったことが原因だったことが分かった。その言い分を信じるかはともかく、何の事情も知る前から原因が酒にあると断じてしまったことがすでに思い込みでしかないわけで、猛省すべきことだ。


 そういった思い込みをしたこと自体は、紛れもなく風鈴製作者自身の問題だが、そういう思い込みを生みやすくするのが印象というものなのだということだ。風鈴製作者はあまり飲酒や食べ歩き、ファッションといった一般的な習慣を持ち合わせないし、オタク趣味にしても独自の道を独りで進んでいるので気付かなかったが、同じことをしている人間の行動の影響とは相当に大きいものなのだな、と理解した。