風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その282)

『制裁の存在しない躾に意味はない』


 へんじがない。ただのしょくよくのごんげのようだ。(挨拶)


 晴れ時々曇り。再び気温は一桁に下降し寒かった。
 相手が子供でも大人でも、不正を行ったり、あるいは他者に不利益を与えるような行為をした場合には咎められる。咎める方法はいくつかあるが、大抵は口頭で注意する、あるいは叱るのが一般的のようだ。
 しかし咎められている側にとって、口でどんなに言われたところで、それだけでは実質的な被害はない。せいぜいがその分だけわずかな時間を拘束されるくらいだ。その程度で自らを戒め、行いを改める人間はいない。では何故そうやって叱ることが効果があるのかといえば、叱ることそのものよりも、その内容に含まれるある種の脅しこそに意味があるのである。身勝手な振る舞いをすれば、何かしらの形で応報があるという社会システムの存在が、他者を顧みない行為に制限をかけているのである。


 逆に言えば、そういったシステムが充分でない、あるいはまともに働いていない社会においては口頭で叱るなどという行為は意味を為さなくなる。またそういうシステムが存在していても、それが周知されていない場合も同様だ。