風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その222)

『人の望みは平和な世界? 多分、違う』


 やっぱり『にいてんご』はなんかヘンなんだよ…。(挨拶@クド公とはるちん(とドルジ)はまあ…)


 雲が広がり、朝から午前中は雨。その後も曇りで、寒気が進入。最高気温は朝方だったらしく、昼間はとても涼しくなった。
 ある種の思想家の語る子供の死生観で、ゲームのようにリセットができると思っている、TVゲームからの悪影響だ、なんて激しく頭の悪い報道(本気で言っているとしたら、それこそゲーム脳だ)をたまに見かける。仮にそういう要素がゲームにあるとして、だったらそんな刷り込みを擦り込みが為されるほどゲームばかりに没頭することを許しているのは誰で、それ以外の魅力ある娯楽を奪っているのは誰なのだということこそが問題だと思うがどうか。……そんなことは、実に、本当に、どうでもいいが。
 ただ、物事にリセットを望むのは理解できる。ドラえもんの道具でもしもボックスがあるが、アレで“もしも世界が人類の望みどおりの世界だったら”という電話をかけたら、あらゆることが修正可能な世界になるのではないかとすら思う(それほど抽象的な内容がもしもボックスに受け付けられるのかは不明だが)。不可逆な出来事をやり直したいという感情は、誰でも、何歳であろうとも抱くことがあるだろう。この願望ほど強いものはそうそうない。


 これは人間以外の動物も同様だろう。何故ならあらゆる動物は合理主義だからだ。それを拒絶できるのは人間だけだ。そう考えると、仮に修正可能であってもそうせずに過ちを受け止めることは人間の誇り足りえるのかもしれない。