風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その159)

『集団を個人とみなし、一部の悪行を裁こうとする無意味さ』


 毎日新聞の変態騒動は治まらないねえ…。相変わらず他メディアは静観してるから目立たないけど。(挨拶)


 晴れ時々曇りー。やはり少し蒸し暑い。が、もう体力的に辛くなるような日差しはない。秋が近いな、と感じる。
 企業が何か不祥事を起こすとすぐに非難の声が上がるようになった。それはマスコミの誘導によるところもあるが、社会全体がそういう不正を見過ごさなくなったということに他ならない。ただ、個々人が声を上げるようになった反面、組織内の個人、ないしは小集団が行った悪事に対して、個人ではなく組織全体に対してその償いを求める場合は多い。もちろん明らかに組織ぐるみの場合は全体に対してその責を問うべきだろうが、しかしそれでもそういうパターンの多くは上層部の支持で行われている。
 つまり集団・組織における悪行と言えども、ほとんどの場合、その責は個人(あるいは小集団)にある。組織として、そういった内部の不正を未然に防げなかったことに対する責任は取るべきだろうが、やはりその組織そのものに悪行の責任を科すのは、必ずしも正しくはない。


 その目的はどうあれ、そういう非難の仕方をする人は、組織や集団を個人として一括りに考えている。しかし集団が大きくなればなるほどに、それほど統括されているわけではない。末端のわずかな異常を全て確認し、改善しようとすることは大事だが、それが可能かどうかは別問題だ。人間の身体も同じことである。


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