風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その34)

『義理とは心身の安全を守るために果たすもの』


 …さまようよろいが\5,000だと?(挨拶)


 今日は晴れて暖かい。昨日が帰省ラッシュのピークだったらしいが、どうやらすでに今日はUターンが始まっているらしい。慌ただしいことである。やはりそんなことをするくらいなら自宅に留まった方が良いと思うのだが。帰省先にも気を使わせそうだし…。
 年末にも少し触れたが、そうまでして故郷に帰る理由は何だろうか。親に顔を見せる、あるいは孫の顔を見せてあげる。地元に残っている旧友に会う。子供の思い出作り。いくつか理由は思い浮かぶが、要は誰のための帰省なのかということだ。少なくとも最も多く公言される理由は“親のため”か“子供のため”であろう。自分のために帰省します、と口にする人はあまり出会ったことがない。実際にどうなのかは分からないが、風鈴製作者の判断では、やはりすでに自分の生活領域ではない場所へ時間と労力をかけて行こうとは思っていないと思う。案外、自分以外の誰かのために帰省する、というのは偽らざる本心からの言葉なのではあるまいか。


 しかし子供のためというのは若干の無理があろう。子供だってあまり知りもしない場所へさしたる理由もなく連れて行かれるよりも、自分の好きなことをしていたいであろうことは自明だ。ならばやはり多くの場合、帰省するのは故郷にいる親のためとなる。まあそれは別に悪くはない。仮にも育ててくれた両親なのだ。そのくらいの義理は果たしても良いだろう。そして、同時に子供も親への義理のために同行する。きっとそういうことなのだろう。