風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その340+365+347)

『専門家の評価は一般人にとって異世界言語に等しい』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 アビが来たァ〜ッ!(挨拶)


 晴れ時々曇り。朝は寒く、午前中はよく晴れていたが、さほど気温は上がらず。歯痛は治まる気配を見せないので(悪化もしてないけど)、歯科へ。結局、患部の神経を抜くことになった。麻酔効きまくり。
 世間には様々な大衆雑誌があり、いろいろな話題に対して、それぞれの分野に精通した人間が何らかの形で知識や経験を披露している。しかしそれらのほとんどは当たり障りのない、実のところまったく専門性のないものばかりだ。そうしてレベルを低くしなければ読者が理解できないし、引いては雑誌が売れないからである。
 これはTVでも同様で、ニュースなどでコメントを出している専門家(大学教授など)の方々は、その話す内容ではなく、肩書きを利用されて報道内容に説得力を添え(させられ)ているに過ぎない。


 “専門分野”というものは一般人が思っているほど簡単に踏み込める世界ではない。まったく別世界に住んでいると言っても過言ではないのだ。これを指して(ひがんで?)、お高く留まっている、などと揶揄する人間もいるが、まったくそういうことではない。