風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その305+365+347)

『確定してこその罪人。それまではまだ一般人』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 また毒入り餃子とかって煽るんだろうね。(挨拶)


 快晴にて温度上昇。風が少しあったが、風向きは北向き。すなわち南風。暖かいはずである。
 何やら中国の工場で生産した冷凍餃子で体調を崩した事例が先月から今月にかけて複数例あったとか。食中毒ではないらしく、有害物質混入の疑いがもたれている。
 色々な人が色々な意見を持ちそうな話だが、取りあえずはコチラと中国それぞれで調査して、その結果次第なのだが、早くもマスコミはここぞとばかりにあげつらいに行きそうな気配がする。以前に書いたが、マスコミは確定していないことを、さも事実であるかのように報道しすぎである。いい例が、或る事件において逮捕者が出た時点でその人物を犯人であるかのように扱うことである。確かに容疑者を逮捕するには、その後、立件するためにも証拠が必要なので、大抵は逮捕者=犯人なのだが、それでも冤罪の例はいくらでもある。逮捕者とはあくまで容疑者であり、犯罪者ではない。疑われているだけで、罪は負っていないのである。何の罪もない人を吊るし上げるのは私刑であり、れっきとした犯罪行為である。何故、ほとんどの人はこれを気にしないのだろう。不思議である。


 もっと酷い例になると、マスコミが憶測で決め付けた人物を逮捕前から犯人のように報道することすらある。松本サリン事件において深刻な報道被害を浴びせて以来、そういったやり方も少しは治まったとは思うが、最近もまた同様の一件があったので、業界的な徹底はまったくされていないのだろう。