風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その246+365+347)

『各媒体に相応しい表現法・展開というものがある。同時に作品に相応しい制限もある』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あれ、ウチからそう遠くないんじゃないか?(挨拶@式の部屋)


 今日も昨日と同じで暖かな日。夜中に歩き回ってもさほど寒くは感じない。…いや、いかがわしいことはしてないのですよ?
 ――――つまりレイトショーで劇場版『空の境界』を観てきたわけで。
 ご本人の日記にも書かれている通り、確かに原作小説の雰囲気がそのまま漂っている、酷くマイナー調な作品。このマイナーぶりは『灰羽連盟』クラス。多分、TVアニメだったら深夜放送以外は許されなさそう(誉め言葉)。
 内容は原作の流れや台詞を並べ替えて、少し分かりやすくして(一般的には原作が分かりづらいすぎるだけ?)、そこに映像作品ならではのシーンや演出を付け加えた感じか。俯瞰・飛び降り・飛行・浮遊といった単語に込められたテーマが観劇者に伝わるかどうかは五分五分だろうが、もう1、2回ほど観れば原作を知らない人でも理解できる程度には明示されているので、まあ単体の作品としては及第点。もっともそういう観かたをしている人は少なそうだけど。個人的には“暖流と寒流の不連続面”の件がカットされていたのが残念。
 ところで映像演出が一部エヴァっぽい(たしか手法名があったはずだが忘れた)のだが、アレはわざとだろうか。なにしろ元が1998年発表の作品で、作中の時間軸も1996年〜1998年だし。


 原作を読んで面白いと感じた人にとっては文句なく楽しめるだろう。ただひとつ――――昏睡中の黒桐くんがメガネをかけ続けていることがすっごい気になるけどねっ。