風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その124+365+347)

『つまらなければ止めればいい。非難などするよりはよほど建設的だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 止められない止まらない。…漢字同じだから分かりづらいな。(挨拶)


 午前中はイマイチな天気だったが、正午前くらいから快晴に。それに伴って、暑苦しくなった。夜になっても快適にはならず。寝苦しい夜と予想される。
 何日か前にも書いたが、夏休みに入り、子供が街に溢れている。同時にその保護者の方も。
 以前にも少し似たようなことを書いたが、行楽地に行って何事か駄々をこねる子供を目にすることは多い。その中で少し興味深いのは、もう帰る、と言い出している子供だ。親は、なんでそんなこというの、せっかく来たのに、と何とか言い聞かせようとするが、まあ大抵は説得など諦め、子供に予定通りの行動を強いる。
 この場合、どちらが強情を張っているのかといえば、強情なのは紛れもなく親の方だろう。子供は、ココはつまらない、だから帰ろう、という合理的な意思を素直に伝えているだけなのであって、別段おかしなことは言っていない。それを100%悪いことのように叱るのは理不尽と言わざるを得ない。


 もちろんこれは“何のために行楽に来ているのか”という問題が前提としてあるが、子供のために行楽に来ている場合はもとより、親本人が遊びたくて来ている場合でも、それはそれで端から子供は強制的に巻き込まれている立場にあるのだから、その内容に対し批評する権利くらいはあるだろう。