風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その111+347)

『簡単と難しいの境界は、善悪の境界くらい入り乱れている』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 僕は捻じれてく。(挨拶)


 雨は一時上がり、日中は曇りながらも比較的爽やか。夜には再び降り出した。本当によく降るもので、長野県では土石流が発生(昨日の話しだが)、他の地区でも崖崩れなどで既に10人以上が亡くなっている。
 技術が発達し、コンピュータは人間を遥かに超える速度で演算するようになり、世界がネットワークで結ばれるようになっても、人間の科学は、環境を制御できるような性能は到底持ちえていない。何かを制御する、という行為は、観測→分析→考察→対処、という流れで行われる。だが現在の人類にはこの始めの“観測”がままならない。そもそも環境というものを観る上で、どこからどこまでを測量すればいいのかすら判っていない上に、その膨大かつ深遠な情報を、詳細に拾い切れるだけの技術もない。


 交通手段の発達や、ネットワークの整備で“世界”は近くなった。しかし今もなお“地球”はあまりに巨大だ。人間はその表面を素早く這い回るウイルス、あるいはバクテリアのようなものだ。だが――――だからこそ、まだまだ人間は前に進んでいける。