風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その109+347)

『モラルとは社会のためではなく、個人のためにある』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 資格者立会い、という法定原則と、フロン(R-22)の回収作業という点で問題アリ。(挨拶@個人での撤去)


 昨日からの雨は、午前中は止んでいたが、昼過ぎからまた降り始めた。気温は上がらず快適。湿度が高くなるのがイヤなのであって、雨そのものはそれほど嫌いではない。大気が少しばかりクリアになるからだ。
 ルールはあれども、それに違反したときの罰則は定められていない、あるいはとても軽い、というケースは実に多い。メジャーな例で言えば年金などの社会保険料の納付であり、少しマイナーな例ならばゴミの分別などだ(今後、前者は強制徴収になりそうだが)。
 どちらも、少人数が守らないだけなら問題ないことだが、大多数が無視しだすと一瞬にして大問題になるというのに、しかし罰則はほぼ存在しない。おそらく個人の自由という概念やや人の善性が重視(盲目視ともいう)されているからなのであろうが、そういった傾向はルールを守っていない人間にも見られる。彼らの内、多くの人間が口にするのは、こんなのみんな守ってないよ、とか、深刻な問題になんてならないよ、という知識にも経験にも基づかない、非常に狭窄的で盲目的な言葉である。


 自分に自信も誇りもない人間ほど、こういった傾向が強い。自分が信用できず、他人の言うことばかり信じ、自ら観察して判断しようとしないからだ。
 別に、ルールを遵守すべきだ、と言っているのではない。ただ、物事を自分で考え、前を見て、胸を張って生きている人間のほうがモラルを守っている傾向にある、という観測的事実を言っているだけだ。