風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その43+347)

『必要なものだからといって善だとは限らない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 言葉の意味はよくわからねぇが凄い自身だ。(挨拶)


 しとしとと雨。目から怪光線を出してマルチ特殊装甲板を17枚貫通するような雨ではない。断じて。
 酸素とは体に必要なものである。体内に取り込まれた酸素は血中のヘモグロビンと結合し運搬され、ミオグロビンという筋肉に含まれるタンパク質に貯蔵され、その後、代謝のために使用される。一般に血液や筋肉が赤いのはこのヘモグロビンやミオグロビンの構成に鉄が含まれており、それが酸素と結びつき酸化鉄となっているからである(節足動物や軟体動物の血中には銅が含まれたヘモシアニンがあるため、同様の理由で青っぽい色になる)。
 生きている限り酸素は必要であり呼吸をやめることは出来ないが、しかし酸素は酸化性が強く、生物にとって非常に毒性の強い気体である。例えば大気中の酸素濃度が2倍になると大抵の生物は死滅する(まあ急にそんなことにはならないが)。
 それでも現生生物の多くがこれを利用するのは、ひとえにその有用性が高いからだ。太古の時代、地球の大気には酸素分子はほぼ存在せず、ほとんどが二酸化炭素だった。それを植物が光合成により酸素分子に変換したのであるが、当時の名残なのか、今もなお植物同様に二酸化炭素を取り込んで代謝している動物は存在する。要するに構造と効率の問題であって、酸素しか選択肢がなかったわけではないのだ。


 酸素呼吸をするのは、動物として動き回るために多量のエネルギーを生み出さなければならない。そのために動物は酸素を必要とするのであって、酸素が完全無害であるわけではない。良い面もあれば悪い面もある。――――そういうこと。