風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その16+347)

『こだわりを持つことはその分野を楽しむ上で大事なことだが、それが過ぎればつまらなくなる』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 いっぱい、おっぱい、ボク元気!(挨拶)


 朝から曇りがち。今にも泣き出しそうな空、というのはこういう状態を言うのだろうが、しかし空が声を上げて泣いたらさぞかしやかましいだろうし、その振動(音波)は地球環境に大きな影響を与えるだろう。できれば泣かないで欲しい。
 ミステリの話。
 よくフェア/アンフェアがどうしたという話を聞くが、アンフェアではない物語などあるのだろうか?そもそも物語というものは作者が創り上げたご都合世界なのである。例えば、ある探偵が犯罪者を追い詰める物語があったとする。きっと探偵は様々な要素を論理的に解釈し犯人を特定してゆくことだろう。しかしこの時点でもはや都合が良すぎるのである。一個人である探偵に、確実に犯人を追い詰めることができるほどの複数の要素が集まるということが既に不自然だ。通常、個人ではそういったことが不可能に近いからこそ、現実では警察という治安維持集団が必要なのだ。


 別にミステリファンにケンカを売っているわけではない。ただ物語というのはそういったおかしな部分をある程度許容してこそ楽しめるものだ。ある意味、一種のショーだと考えればいいと思う。(といってもそんなことに本気でこだわって物語を読んでいるのは極少数だと思うが)