風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その296)

『物質として存在しなければそれは“無”だと考えるのは、ある意味、人間辞めている』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 しかし実存の世界を感じられないのも人間辞めている。(挨拶@クスリとか、クスリとか、クスリとか…)


 カレンダーには主に週の始まりが日曜日のもの(以下、日曜カレンダー)と月曜日のもの(以下、月曜カレンダー)がある。
 風鈴製作者は日曜カレンダーの方を支持している。何故なら日=太陽なのであって、太陽が月よりも後になることが納得いかないからだ。納得いかないのは多分、風鈴製作者が陰陽道に雀の涙ほどだけ通じているからだろう。昭和の頃までは月曜カレンダーがあまりなかったところを見ると、日曜カレンダーは過去からの風習的な意味合いを持っていると考えられる。まったく調べずにこの文章を書いているのだが、多分陰陽道がらみで定められていると思って間違いないだろう。つまり日曜カレンダーは宗教、ないしは風習的なものだと言える。
 対して月曜カレンダーは週末=土曜+日曜、という発想から来ているのだろう。つまりこちらは現在の実生活に沿った合理的なものと言える。(※ただし天文学及び物理学的側面から見ると月やその他の惑星よりも先に太陽が存在していたことは間違いないので、論理的には日曜カレンダーの方が正しいことになるのだが)


 過去からの風習と現実に沿った合理性。どちらを採るか?――――つまるところ某後継者問題はその程度の話でしかない。(この件について、別に風鈴製作者はどっちでもいいと思っている)