風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その266)

『神が自らの姿を模して人間を創ったように、人は人形を作るんだってさ』
『だったら“人形”の最終形は神様になるのか?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 かすみ目に救心。…それ違う。(挨拶)


 成人の日です。はい、風鈴製作者には直接関係ないイベントです。
 疑問なのだけれど、成人式とは新成人を社会に送り出す儀式なのだろうか、それとも社会が迎え入れる儀式なのだろうか?
 要するに卒業式なのか、入学式なのかということだけれど、一般的には入学式と考えるのが自然だとは思う。…けれどそこにある違和感は隠せない。
 何故なら多くの新成人が、成人した段階で社会人ではないからだ。そのほとんどが大学生、専門学校生、フリーターのいずれかだろう(これは偏見だろうか?いやそうではないだろう)。つまり社会に“入学”しようにも、どこかの世話になっているという意識が限りなく希薄なのだ。そりゃあ、勝手気ままな行動にも出るだろう。成人式で奇行を行う人間がなくならない原因のひとつだと思う。(けして新成人の身分が学生やフリーターであることを責めているのではない。念のため)


 ――――関係ないが、こういう年中行事を日記に書いてしまうと、次の年の同じ時期には書くことが重複しないようにしなくてはならない罠。