風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その264)

『放火は火に魅せられているいるわけではない。単に容易に破壊衝動を満たしてくれるからこそ行われるのだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 下関駅って、1999年に無差別殺人が起こったよね。(挨拶)


 下関駅の駅舎が放火で焼けた件ですけど、おそらく犯人のジーサンも思っていた以上の被害に驚いていることでしょう。
 放火はその手間の割りに、非常に大きな破壊を起こすことが出来るので、そういった意味でストレス解消になるのは理解できます(無論容認はしませんが)。しかし大抵の場合、それにより引き起こされる惨状の規模など犯人には予想できていないのではないでしょうか?(そもそもそんな予想が出来ていたら、放火などしないという見方もあるけど)


 冷静な思考と充分な想像力があれば、衝動的な犯罪は減ると思うのですがどうでしょう?