風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その238)

『なにかを貶めて喜ぶのは未熟者の思考(嗜好)だ。ということは、全人類、皆、未熟ということではないか?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 空の上から愛の種を撒き散らして この地球(ほし)から悲しみ消したかった。(挨拶)


 なにか一般的認識では理解しがたいような犯罪が起こると、なにかにつけて人を傷つける描写のあるゲームやマンガ、アニメがその槍玉に挙げられる。
 しかし小説がそういう対象になることはほとんど無い。風鈴製作者が知る限り『バトル・ロワイアル』くらいだ。それは何故だろう?
 戦前の江戸川乱歩などの作品を始め、近現代の小説作品にはいくらでも危険行為、殺戮行為を描いた作品が存在する。ミステリにカテゴライズされる作品などは殺人(或いはそれに順ずる)行為が無い方が珍しい。
 アレだろうか?実際に犯罪を犯すようなおバカさんは、小説など読むはずがないとでも思っているのだろうか?または、事件をよりセンセンショナリーに演出するためのオプションであるところの“生贄”を選ぶにあたり、社会的害悪として叩きやすい(と思い込んでいる)マンガなどを選んでいるのか……どちらにせよ不可思議な思考だと思う。
 前者ならただの思い込みだし、後者ならそんなことをしてもマンガなどの文化は無くならない。それに影響されて本気で潰しにかかる人も少数だろう。すでに業界として完成しているし、今後もお金になる業種だからだ。故にあまり意味の無いことである。