風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その80)

『資料を丸暗記していることに本質的意味は無い。知りたい時に何を調べればよいか分かっていれば十分』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ↑のボソリ…とは何の関係もありませんが、自らの死期を知ってしまった場合、風鈴製作者は何を思い、何を考え、そしてどうするのか、としばし思考。
 結局のところ、普遍的回答なぞ出ないわけですが、多分風鈴製作者は慌てふためきもせず、ただ淡々と“やるべきこと”、“したいこと”、“何の意味も無いこと”の順でやり続けるのではないかと。
 よくTVドラマなどでは(ここ数年ぜんぜん観てないけど)鬱入ったり他人に当たり散らす描写がありますが、実際そんなに動揺するのかな……かなっ?
 もちろんそのようになってみないと検証は出来ないのですが、少なくとも風鈴製作者は坂道を猛進して下ってきたピザ屋のスクーターにクリティカルヒットされた(要するに撥ねられた)際にも、命を喪失しかけた恐怖を感じるより先に、壁に激突したスクーターの運転手の心配をしていました。


 ……アレ?風鈴製作者がオカシイだけかな……かなっ?