風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その68)

『どんなに思考速度が鈍い人間でも、思考を言語化することを省略すれば高速になる……かもしれない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 地球さん、今日は涼しくて助かります。(挨拶)


 なにかを思考したときに、その内容及び結果をいちいち頭の中で言語化していないだろうか?これは一種の確認作業機能なのかもしれないが、まず無駄なことである、いや無駄も無駄、超弩級の無駄ではなかろうか。
 思考の言語化はその有意性に対して、割り振る脳力が大きいと思う。故に、必要がないならば極力省くべきものであり、またそうすれば他の事にその分の脳力を使用することができる。非常に合理的ではないか。
 おそらく思考力に卓越している人は、単純に思考速度が速いとかどうとか以前に、無駄なプロセスを省いて最適化している。それが凡才との決定的な違いなのだろう――――


――――と、劣才の風鈴製作者はクソ遅い思考ルーチンを使って愚考する〜。


 さてここで問題です。何回“無駄”と記してあるでしょう?(超思いつき問題)