風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その66)

『爽やかな風に吹かれると気持ちいいと感じる人は、きっと主として室内に生息している人だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 架空の物語を描いた作品というものは少なからず誇張や嘘があるもので、そうしなければほぼ確実に退屈な作品になります(たとえばSF映画で、真空中に照射されたレーザー兵器を第三者が普通に視認できたり)。それに対して、現実の世界における現象や常識を当てはめること自体が詮無いことです。
 しかし制作サイドとしても、ある程度のライン(この場合の理想は、受け手が許容できる範囲ギリギリ二歩くらい手前)を引いて作らないと、ただのご都合主義作品になるわけです(当たり前ですが、矛盾が見つかったからといって途中で設定を捻じ曲げるなど言語道断)。
 言わば、作品作りとは作り手側が、いかにして受け手側の思考や常識、知識をトレースするかにかかっているのだと思うわけで(※膨大な専門用語を乱発して煙に巻くという手もありますが)。


 ――――そんなことを思う、『ガンダムSEED DESTINY』を観た日。