『“永遠”とは恐怖であり、また終着でもある』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
プローミネンス、ドレスアーップ♪(挨拶)
昨日も書きましたが、今日も法事。
そこでひとつ嫌なことが発覚。
親父が、祖父の、死んだ年を、覚えていない――――。
軽く 『ブッ殺しますことよ?』 とか思いました。
それこそ、今後風鈴製作者の親父が死んだら、ソッコーで命日を忘却してやろうかと思案しましたよ(忘れやしませんけど)。
個人的にはどうであれ、自分を生んだ親であるという意味での尊敬は失いたくないものです。