風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(8年目その1)

『ひとつのことしかしないのは貧困な証拠』


 オリンピック? 興味ないけど、結果は概ね把握してるよ。(挨拶)


 今年の夏は7月頭くらいまでは涼しかったけど、それ以降は平常運行。個人的には、エアコンは入れたり入れなかったり。節電がどうしたとか、電気料金の値上げがどうしたとか、関係ありません。だって元々切り詰めてるし。
 少しだけオリンピックの話。
 柔道で金メダルがひとつも獲れなかったーっ、とか問題視している業界の人には悪いのだけれど、もうここ10年近く柔道は低迷していたと思うし、とうの昔に柔道はスポーツ化しているので、ルールに則ってあらゆる手段を講じて勝利を目指すのは当たり前だ。以前、海外の選手が多用した、まるでタックルのような諸手刈りを日本柔道協会が非難したことがあったと思ったが、個人的には何が問題なのか理解できなかった。柔道として、あるべき形やある種の美しさを追求するのは解るのだが、そういった儀礼的な部分と、勝敗を分ける試合では区別をするべきではないだろうか。それが嫌なら海外になど広めず、国内に引き篭もっていればよかったはず。――――剣道のように。
 ともあれ、柔道や水泳など、長らく日本のお家芸とされていた競技はなりを潜めたものの、フェンシングやアーチェリー、卓球など新たに世界に通じる競技者が出てきたものもある。そもそも特定の競技に対し、国家的に注視・注力するのは、多くの場合、発展途上国、ないしは国威を示したい独裁国家がすることだ。日本もそういった時期を、ようやく終えたということだろう。


 さてそんなことよりも、行ってまいりました。修羅の場コミックマーケット82! 今回の来場者は16万、19万、21万でのべ56万人で、ひとり辺りの戦闘力を1としても、フリーザ様の戦闘力を上回る結果となったようだ(特にこの表現に意味はない)。
 今回の戦線異常は2点。ひとつはサークル入場以外で、初めて始発よりも後に現地着したこと。もうひとつは、3日目の開催中、一時的に降雨に見舞われたのだが、それが原因で、使っていた紙袋が破れたことだが、風鈴製作者に死角はなく、予備の袋くらいは用意してあるので問題なく(何せ本以外も含めれば、一時的に10キロ近い重量になり、それを超過密・高湿度な空間で持ち運びするのだから、予備は必須である)。
 天候も雲が多く、それなり風も吹いていたため、かなり快適な3日間だったと言えるだろう。…それでも1年でもっとも汗をかく場所なわけですがねっ。
 先ほど反省会のツイートまとめで読んだが、コミケもいろいろと変化をしているようだ。
 企業ブースではgoogle鳥取県CCレモンの擬人化など多様化し(了法寺は残念なことになったけど)、コスプレも規制緩和(というより規制の路線変更)で徐々に人数が増えているとのこと。また、以前から言われていることだけど、コミケ知名度増加に伴い、それまでなかった問題も増加しているようだ。今回はとにかく路上駐車が多かったらしい。近隣の企業から苦情が入ったとのこと(電車で来いよ。始発で最盛期の満員電車を味わおうぜ)。晴海を追い出されたら、もう野外開催しかなくなるので、周囲には迷惑をかけないようにしましょう。――――あと開催前からそんな計画があることは知ってたけど、コミケにピザが配達されるか試すな! 会場外でのゲリラ頒布は論外!(つか今回のアレは一アニメータの勝手な行為らしいので、事実上、横領に当たるんじゃないだろうか)
 ところで、以前に外務省の方が海外からの観光誘致がらみの視察に来たことがあったが、今回は米軍の基地内放送局やスイスのラジオ放送局が取材に来たようだ。なんかどんどん多様になってるみたい。まあ、あんまりHENTAIな部分は広めない方向でお願いします。


 あとはROM版と同じような仕様で、web版カタログを次回辺りから試すとのこと。データの収集がしやすいから混雑対策には役立ちそう。でもサーバが落ちたら阿鼻叫喚。とりあえず人柱さんたちが充分に生贄になってくれるまではカタロムかなぁ。

風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(7年目その3)

『如何に存続するかが問題ではない。いつ転換し、どう畳むかが問題だ』


 金は全てじゃない! ほとんどだっ!(挨拶)


 なんかずっと寒い日が続いている。朝方はたまに氷点下になっているし、この間、降った雪はまだ残っていたりするし――――で、温暖化がなんだって?
 実際、金で救われる命は確かに多く存在するし、人の心は慰謝料という名の(司法によって認定される場合すらある)金によって左右されるし、時間だって、充分な金があれば働かなくてよい、と考えれば買うことができると言えるだろう。金でどうにもできないのは、その時点で人間が有するいかなる手段をもってしても実現不可能なことだけだ。(例えば、飛行機械を用いない単独飛行はまずできない。せいぜい高所から飛び降りるくらいだが、それは飛行ではなく落下だ。また宇宙遊泳を飛行と主張する人もいるかもしれないが、一般にそれは浮遊だろう)
 まあどうでもいい。個々人の経験とそれに基づく解釈の問題だ。普遍性のある主張ではない。
 ところで、すでに一昨日の話になるが、東京駅内の本屋で『ONE PIECE』の最新刊を売っていた。発売日なのだから当たり前じゃないか、と思うだろうが、わざわざ通常の開店時間前の朝7時に、他の店のシャッターがまだ閉まっている中で、長机を引っ張り出して、ONE PIECE』だけ売っていたのである。
 まあ狙いは想像できる。最近は大人が少年漫画を読むのも普通になったし、『ONE PIECE』は刷っている部数も他に比べ圧倒的、メディアにも殊更に取り上げられている作品だ。通勤客の中にもいち早くコミックを手に入れて、読みたい人がいるだろうから、いち早く販売して少しでも多く売ろう、という意図なのだろう。
 確かにAmazonBookOffを初めとした古本チェーンが台頭して以来、漫画は初動が命だ。街に店舗を構えた一般書店にとって、唯一の優位点は、いち早く読者に本を手渡すことができることである。その辺りを強く意識しているからこその早売り行為なのだろうが、ぶっちゃけ盛況には程遠い様子だった。道行くサラリーマンは声を張り上げる販売員を一瞥するだけで通り過ぎ、どこかのブロガーらしき人が写真を撮らせてもらっているのが、とても印象的だった。


 とどのつまり、早売りに拘るのはコアなファンくらいで、普通の人は興味を示さない。どこでも、いつでも買えるからだ。しかも前述したように少し待てば古本チェーンで少し安く手に入る(個人的には、作家とは買い支えるものだと思っているので、これは推奨しないが、そうするのも自由だ)。こうして本屋はますます苦境に追い詰められていく。電子書籍が音楽ジャンルほどに一般的になれば、止めを刺されるだろう。より安価で、より簡易に入手しやすくなるからだ。いずれ紙媒体の本は亜流になり、ある種のコレクションアイテムになるだろうし、すでに少しずつなりつつある。


追記
 ……『ONE PIECE』? 風鈴製作者は買ってないよ。だから広告も貼らないよ。

風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(7年目その2)

『資本主義社会である以上、金銭からは逃れられない。しかし、そのように見せかけることはできる』


 ぐだぽよ〜。(挨拶)


 今年の冬は、導入こそとても暖かかったが、12月中旬に差し掛かる頃には急に寒くなって、以後、最低気温が2〜4℃の日々が続いている。しかし、その割には風邪やインフルエンザはあまり流行っていないような感じだ。
 さて、例によってやたら黒率の高いイベントに行ってきたのだけれど、知らぬ間に1日目の西館待機列は、企業列とそれ以外を分けて並べるようになったみたいで、ますます、企業は別イベントにすればいいのに、という思いが頭を掠めた。しかし、昼くらいに実際に企業ブースへ足を運んでみると、館内の通路は一時期のカオスぶりとは打って変わって、比較的スムーズに流れている。年末日程ということもあり、初日の参加者数は15万人程度に収まったようだが、それでも随分落ち着いた印象だった(なのは・まどか・シュタゲあたりの人気作品関連はいつも通りだけど)。
 東館に面したブロックには、主に18禁商品を扱う企業ブースが隔離されているのは大きいお友達はみんな知っていることで、大手18禁ゲームブランドが密集している付近の外周は、複数の列がスロープを降りて、西館駐車場まで回り込んでいるという状態だったが、やはり館内はさほどの混雑ではない。というのも、そもそもそういった世間的に不健全とされる商材を扱う企業は、徐々にコミケから撤退を始めているように思われる。エロゲー・ギャルゲー業界がかなり縮小に追い込まれているのは周知のことで、大手メーカー以外は出展料の面で苦慮しているのかもしれない。
 何年か前から、コミケと同時期に秋葉原で複数のゲーム会社が主催する『電気外祭り』なるものが開催されているが、こういう形で差別化・分散化するのは、個人的には好ましいことだと思う。コミケ知名度が一般層に広まってしまい、一般層向けの企業の出展が増えてきている以上、こういう流れは自然なことだ。エログロな要素は人間にとって必要なものであると考えるが、あくまでも日陰モノであるべきで、おおっぴらに存在しているべきではない。――――だから秋葉原は国道沿いで大人のオモチャやエロゲーを売るのは止めたほうがいいんじゃない?
 だが、それとはまったく反対に、同人の分野ではエロが、エロばかりが隆盛を極めている。勘違いしている人が多いが、同人誌とは別にエロばかりではない。ギャグや読ませるストーリーを売りにしているサークルは相当数、存在するのだ。
 しかし以前と比べると、その割合は減ったと思うし、新たな書き手も現れなくなってきている。もちろん、風鈴製作者が全てを把握しているわけではないが、少なくとも壁サークルはエロと既存のプロ作家のサークルばかりになった。以前はもっとアマの健全サークルが多かったのは間違いない。そういうアマの人たちがプロ作家に移行して、その後、秀逸な健全作家が現れていないようなのだ。
 島中にいるうちに出版社の編集にスカウトされていることも考えられるが、やはり安易なエロへの傾倒が想像される。


だってエロって売れるんだもん。


 これを断固として否定する人もいるが、残念ながら(別に個人的には全然残念じゃないけど)これが人間の真実なので仕方がない。ただ、多くの作家が安易なエロに走った結果、みんな横並びの、似たような作品ばかりになっているのも事実だ。今回のコミケで例を挙げるならば、『はがない』の肉本が腐るほどあったが、ほぼ全て単純な純愛 or 陵辱でつまらない。情熱やキャラ愛を感じない。はっきり言って読む価値がない。これはいくつかの某掲示板などでも共通の見解である。
 だが、どうやらそんなものでもそこそこ売れるようなのだ。結果、何も考えず、感じず、つまらない作品を送り出すうちに才能が腐った作家が潰れていくということなのだろう。


 上記とは一切関係ない話だけれど、『人類は衰退しました』はようやくアニメ化が確定したようで、コミケでもポスターを見かけた。この日記でもほんの少し触れたけど、始めにそういう話が出てからほぼ3年経つんですけどね。
 ところであの作品、何で挿絵の人が変わったの? 大人の事情なんだろうけど、あんな判子絵にしなくてもいいじゃないのさ…。


人類は衰退しました 1 (ガガガ文庫)

人類は衰退しました 1 (ガガガ文庫)

風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(7年目その1)

悲しみよこんにちは


 ゴール…!(挨拶)


 スタジオバオバブ所属の声優である、川上とも子氏がお亡くなりになった。病気療養で休業していることは聞いていたが、まさか卵巣癌だったとは…。
 氏の特徴的な声と演技は大変印象深く、いわゆる“記憶に残る”タイプの演技者であり、個人的にとても好きな声優の一人だった。深くご冥福をお祈りしたい。


 演じたキャラクター的には、ウテナ佐祐理さん観鈴ちん進藤ヒカル日向冬樹あたりがメジャーどころなのだろうけれど、風鈴製作者はミトとかりっちゃん(&セーメ)とか両儀式なんだよなぁ。

風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(6年目その8)

『人間の科学は自然を凌駕するかというならば、いつかするだろうと答える。人間とはそういう生き物だ』


 みんなー、生きてるー?(挨拶@不謹慎か?)


 何やら先月後半から原油が急騰したりしてて、ネットではほんの数日で3億稼いだとかどうとかいうスレが立ったり、ふーん、へー、ほー、とか安穏とした生活を送っていたら、いきなり本日、日本はM8.8の超巨大地震に襲われたわけでっ!(地震はいつだって唐突だけど)
 風鈴製作者は地学が好きで、そこそこ得意分野なので、関連する情報を見逃さない。だから今回の地震も、S波の(※たった今、千葉と茨城に緊急地震速報が入った。東京は速報の約2秒後に揺れが到達。微震だったけど、やっぱりこれで事前に避難なんて不可能だよ)強さとP波到達までの時間、P波の強さ、そして事前情報から、ああ、また三陸沖だ。しかもかなりヤバイ。と即判断(という思考と平行して、周囲に避難行動を指示。窓から離れて、柱などに捕まりましょう)。三陸沖ではここ数日で大きい地震が2回続けて起きていたのである。
 すでにニュースサイトの記事になっているが、今回の地震スマトラ地震などの巨大地震と同様の、複数震源地震であると思われる。2箇所以上の場所でまったく別個に複数の地震が起こっているのではないので、複数震源地震という表現は正確ではないのだが、ともかく、非常に広い範囲で連動して地震が起こることを指す。通常M8.8とはそういうことでもなければ、なかなか起こらない数字なのである。理論上、1地点で地震が起きた場合、M9.0を越えることはないとされている。それ以上、地殻にエネルギーが貯まると、玄武岩質岩石で形成されているプレートそのものが崩壊すると考えられているからだ。M9.0を越える地震は科学的に信用できる記録でも何度かあり、世界最大が1960年のチリ地震(M9.6)で、それに次ぐとされているのが1964年のアラスカ地震(M9.2)や2004年のスマトラ島沖地震(M9.1〜9.3)だ。今回の地震はそれらと同レベルの、地球上で起こりうる最大級の地震なのである。
 さて、今回、特筆すべきなのは、首都圏では震度5弱程度という、ままある揺れであったにも拘らず、JR・私鉄全線不通が長時間に渡り、JRに至っては、早々に本日中の全線運休を宣言したことだ。これは、単純に線路の歪みや送電系をチェックするだけならば、説明のつかない対処法である。あくまでも個人的な推察だが、おそらく地震のあまりに大きな規模から、想定される巨大な余震や社会的動揺による混乱を避けるために、あえて政府から運行しないようにという指示が出ているのではないかと思う。つまり、帰宅困難者を無理に帰そうとせず、会社などに一時的に閉じ込めて、少しでも落ち着かせようという戦術だ。もしそうであれば、風鈴製作者としては評価したい。なにしろ風鈴製作者が1時間半ほどかけて徒歩帰宅していたら秋葉原付近の靖国通りと中央通りの交差点はパニック寸前の状態だったのだから。――――なお、現在、私鉄や地下鉄は徐々に運転再開。しかしJR線は明日の運行情報すら、いまだ不明としている。


 ところで午前3:43(3/12の)現在、福島第1原発・1号機の内圧が高まったため、圧力を(※また緊急地震速報。地域は新潟・長野・福島・群馬。長野北部で震度6強。確実に今回の地震に影響を受けた断層型地震。こういうことが起こる可能性が数年は存在し続けるので、内陸であろうと安心はできない)逃がす操作を準備中の模様。1時間ほど前まで操作のための電力確保が問題だったようだが、おそらく問題はクリアしたのだろう。柏崎刈羽原発や青森六ヶ所村にある再生処理工場では放射性物質を保管したプールの水が少しこぼれたらしいが、それも厳重に管理された建物内のことで問題はない。茨城県東海村原発も自動停止し、安全。新潟県中越沖地震のときも書いたが、M8.8の超巨大地震に襲われたにしては、上々だ。たまに失敗はするけれど、やはり人間の技術は素晴らしいと思える。…問題は一時的に電力供給が落ちて、東京電力から無駄な電力消費を避けるように通達が出ていることかなぁ。そして、余震がまったく止まらない。多分、これが人生最大の地震イベントだろう。何しろさっき(上記の長野の地震)から緊急地震速報が止まりませんよっ!(今も長野で余震が起きて震度が6弱です)


追記
 おっと、今、NHK緊急地震速報に何らかの不具合が出ている可能性が示唆されましたよ。


追記2
 メルトダウンした、だと…。(まあ、まだ燃料容器が融けただけで、炉そのものは“まだ”無事。大丈夫だと風鈴製作者は信じている)

風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(6年目その7)

『まともな人間が怒ることは、そう軽くはない』


 バカ王子、うぜぇーっ!(挨拶)


 今日の東京地方の最高気温は9℃ほどだったのだけれど、ここしばらくは0〜6℃くらいの気温が続いていたので、あんまり寒くは感じず。乾燥で手荒れが酷いけど。
 昔からたまに「そんなに怒るなよ」とか「なにムキになってんの」みたいなことをヘラヘラした調子で言われることがある。そういうときは大抵、風鈴製作者が何事か抗議しているときで、別段、怒っているわけではない。
 おそらく抗議しているという性質上、真剣な表情(≒無表情)でハッキリとした口調で話している(こうしなければ話の重要さが伝わらないことが多いため、意識的にこうしている)ことが、相手にとっては責められているように感じられるか、もしくはそもそも当該の案件で抗議されること事態を不服に思っているかのどちらかだろうが、しかし、どうも相手の態度を見ている限り、後者ではないようだ。抗議そのものに不服があるなら、そう言えば良い。
 別にこちらの抗議に対して、相手がどのように対処するかはどうでもいい。その対処に対して、こちらも相応の対応をするだけだ。だが、どうも前述したような態度を取るような人間は、そもそもそれを抗議だと受け取っていない節がある。とにかく怒っている人を宥め透かしてこの場を凌ごう、という意思を感じるし、しかもそれが平和的で友好的だと思っているようだ。
 この日記内で幾度も“平和”という言葉を使っているが、少なくとも、抗議を抗議と思わず、ただ感情を爆発させているだけだとタカを括って逃避していることは平和的ではない。そういう誤認は多々あるが、それも過ぎれば大きな火種になる。他人と論争を交わすことは、一見、平和的ではないようだが、では争わないことが平和的なのかといえば、断じて違う。何故なら、現実には争わねばならない場面がたくさん存在し、それぞれの主張を展開しなければ、妥協点を見つけることもできないからだ。相互の妥協点を見出しもせず、放置するのはとても危険な状態だ。平和だなどと、けして言えない状況である。


 そもそも、怒る、という行為を随分と軽く捉えている人が多いように思われる。多分、物事に本気で取り組んだことのない人がそういう人格になるのだろう。本気になったことがないから、本気で怒った経験もないのだ。人間は自身で経験したことのない状態は、なかなか理解できないものである。

風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(6年目その6)

『同じ時代、同じ国、同じ社会に生きている人間の本質は、世代が違おうと、そうそう異なるものではない』


 警察に関する出来事が多かった。一般参加者が会場から通報するケースがあった。「友人が2冊本を買ってくるはずだったのに1冊だけだった、詐欺だ!」と、110番してパトカーが来る。警察も通報されたからには来ないわけには行かない。(挨拶@コミケ79反省会)


 今年は12月中旬過ぎから寒い日が多い。特に最低気温が3℃以下の日がしばしばで、現在、完全夜型の風鈴製作者には辛いところ。…寒さそのものではなく、電気代が。
 つい最近、20代前半の女性に、貴方くらいの世代から見て、私たちくらいの世代って、やっぱり全然違うように見えるんですか?、という質問をされた。目的語が無かったが、多分、感性とかものの考え方とか、そういったことだろうと思い、その意味で回答。風鈴製作者曰く、あんまり変わらない、同じようなものだよ。
 以前にも書いたが、風鈴製作者が彼らくらいの年齢の頃……つまり大学生くらいのとき、同世代はとにかく集団の和を重視していた。だからサークルなどで宴会が行われれば、よほどの用事がない限り、参加が義務付けられていたようなものだった。そこからはみ出した人は非難されることが多かったし、ほどなく姿を消してしまうこともままあった(※命が消されたとかそういう野蛮な話ではないのでご注意を…)。
 一方で、3学年下辺りから、あまり宴会に参加せず、自由に行動するサークル員が増えた。このことについて風鈴製作者の同学年が非難していたことは以前にも書いたとおりだが、かといって彼らがまったくの個人行動を取っていたのかといえば、そんなことはなく、彼らには彼らの協調性における集団行動があった。それまでもっぱら連絡用であった携帯をコミュニケーションツールとして使うようになっていたのだ。
 さらにここ数年の学生を観察してみると、mixitwitterなどで、日常で顔を合わせている友人と、わざわざネットワーク上でも会話している(個人的には、そんなにべったりで疲れないのかな、と思っているが)。
 使っているツールは異なれど、そこにあるのは、集まっていたい、という衝動だ。あえて違う部分を上げるとすれば、他人との距離の取り方が変化してきているように感じられるが、それはそういうやり方を社会全体が許すようになってきているからだと思う。昔は先輩や上司に対して露骨に距離を取るなんてできなかったものだ(実際にはできたが、その結果、公然と何らかの制裁を食らうのが当たり前だった)。使われるツールも、直接対面するものから、間接的なものになっているし、適度な距離を取りやすいように変化はしている。ただし、――――変化はしているが、本質は変わっていない。
 同じ環境下で生きているのに、たかだか10年やそこらの年齢差で、人間の本質はそんなに違わない。さて、では彼女は何故そんな質問をしたのでしょうか? 考えてみると良い(彼女自身が)。


 風鈴製作者? 単独行動、上等。個人主義、万歳の人ですが、何か?(念能力判定でも特質系って言われるんだぜ?)